従来から、安倍貞任(あべのさだとう)の臣善知鳥文治安方(うとうぶんじやすかた)の居館跡と伝えられてきました。昭和38年6月、紫波町教育委員会が主体となり、岩手大学板橋源教授を主任調査員として発掘調査を実施した結果、この遺跡は、安倍氏の柵か、もしくは安倍氏につながりのある有力者の居館であったろうと推定されるに至りました。つまり、安倍氏時代における当地域は、この遺跡を拠点として支配されていたと想定されています。
住所 | 紫波町南日詰字滝名川12 厳島神社付近 |
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紫波町西部の山裾を南北に縦貫する古道「安倍道」の存在が伝承されています。 安倍道の呼称は古代安倍氏に由来するもので、安倍氏全盛時代から前九年合戦の滅亡頃の主要交通路と推測されます。
住所 | 紫波町土館字木金ほか |
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陣ヶ岡公園の中にある神社です。前九年合戦の時、源義家(みなもとのよしいえ)は厨川(くりやがわ)の戦いで安部貞任(あべのさだとう)軍にてこずっていました。
住所 | 紫波町宮手字陣ヶ岡69 |
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