紫波町信仰の場所めぐり東コース


◇コースの見どころ


 

志賀理和気神社

通称、赤石神社、赤石さんと呼ばれる神社。「志賀理和氣」の社名は、「しがりわけ」「しがりわき」「しかりわけ」など、いろいろと読み方がある。 日本最北の延喜式内社とされている。


 

 

志賀理和気神社

志賀理和気神社


 

嶋の堂観音

当国三十三観音六番札所。五郎沼の観音島にありましたが、嘉永4年に現在地に移転しています。社殿の後ろに乾元2年(1303年)碑があります。


 

是信房の墓

源義経由来の伝説がある判官神社から赤沢川を数キロ下った北上川近くの小高い丘にあります。浄土真宗の開祖 親鸞聖人の24人いる弟子の第10番目の弟子。建保3年、親鸞聖人に奥州での布教を命ぜられ、秋田や北上へ行った後、彦部の石ケ森に移り、本誓寺を建て浄土真宗を広めたと言われています。


 

正養寺

鎌倉時代の初期(1215年頃)に開山した古刹です。この時代に奥羽にも広まった仏教ですが、布教の先駆者であり、親鸞の高弟是信房によって開かれました。是信房は、50年間この地にとどまって念仏の教えをひろめ、都の文化や文物を伝えて郷土のために尽力し、75歳の生涯を終えました。


 

義経神社

赤沢地区には、義経に関する伝説がいくつもあります。平家から逃れて平泉にやってきた義経はひそかに赤沢で暮らしながら馬や弓の鍛錬をしていたが、立ち寄った井戸で娘と知り合い子ができたという。その子孫が、現在判官堂を所有する家に住んでいるという。義経が飲んだ井戸は今でも水がわき、義経が使ったとされる弓なども、そのゆかりの家には残されている。


 


 

佐比内産直(乳神様)

盛岡市から遠野市を結ぶ国道396号線沿いの農産物直売所です。佐比内は、豊かな自然の恵みを受けたおいしいフルーツの里。栄養たっぷりの野菜と四季折々の花の里。そして名物は秋のかかしまつり。100余名の組合員家族で運営されています。(乳神様)盛岡南部藩のお城に乳人として仕えていた女性が、不義の懐妊のため実家に帰される途路、産後に死んで、赤子が母親の母乳を吸っていたのが見つかり、乳神様としてお堂を建てて祀られました。やがて乳神様の話が伝わり、大事な乳を求める人達が拝みに来ることとなり、今日に至っています。


 

隠れキリシタンの墓

京都出身の山師(採掘技術者で経営者)丹波弥十郎は、元和8年(1622年)に佐比内地区に採掘権を巨額で落札し、朴木(ほうのき)金山を発掘・発展させました。この金山はのちに南部藩最大の金山として藩の財政を支え、鉱夫の人数はおよそ2万人と言われます。佐比内には今も隠れキリシタンが残したと言われる史跡が存在します。江戸幕府はキリスト教の信仰を禁じていましたが、鉱山は一種の治外法権であったためにそれほど厳しくなかったそうです。それでも役人の目から逃れるため、絵や漢字を使って一見すれば十字架と分からないような細工を施し、密かに信仰を続けていました。


 

鳳仙寺

国道396号線沿い、佐比内小学校の北西、佐比内公民館の道路向かい。開山のきっかけは、遠野南部の殿様の奥方が盛岡で没した際、この地で荼毘に付した事にはじまります。「いわてのお寺さん」には 「寛文元年(1661年)夏、遠野南部22代、弥六郎直栄公の奥方・千代が盛岡で死没。直栄公は、自領地の当地まで遺体を運び、荼毘に付しました。それを機に、佐比内舘前にあった小庵を火葬の地に移転して一寺を建立。」と紹介されています。


 

岩谷観音

鳳仙寺から国道396号線を挟んで向かい側のあたりに岩谷観音があります。ここはかなりわかりづらく、396号線からはその存在を伺い知る事は困難です。鳥居の奥に見える洞窟の中に、岩谷観音があります。岩谷観音は、田村麻呂が洞窟に隠れていた蝦夷を討ち、戦勝と平定を祈願し戦死者の冥福を祈って、聖観音像を安置したのがはじまりということです。


 

岩谷観音


 

赤沢薬師堂(七仏薬師)

赤沢地区に所在する七仏薬師如来を祀るお堂で、薬師如来像は12世紀奥州藤原氏の時代の制作です。七体そろって伝わっている事例は珍しく、岩手県指定文化財となっております。

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