山屋地区、山祗(やまずみ)神社近くの尾根上に、「山屋館経塚」が所在します。 経塚とは仏教信仰に基づいて経典を納めた塚です。山屋館経塚には4基の経塚が築かれており、経典を納めた容器である「三筋文壺(さんきんもんこ)」「波状文四耳壺(はじょうもんしじこ)」などが、出土しています。 陶器壺の年代から12世紀、奥州藤原氏の時代の経塚と推測されます。同じ場所に4基の経塚が築かれていることから、この場所が当時の人々にとって「聖地」「霊場」といった位置付けあったと 考えられます。
住所 | 紫波町山屋字山口 |
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住所 | 岩手県紫波郡紫波町山屋字鍋沢61 |
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その昔山屋部落では砂金がよく取れ、採金業が盛んに行われていた。平泉藤原氏の時代に砂金採掘の為に京より来住した「孫六」なる人が好んで田楽、田舞などを踊り、土地の豪族菅原氏を介して里人を踊らせたものが、土地での変遷を経て現在に伝わったものであるといわれている。
住所 | 紫波町山屋字山口 |
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山屋地区、山祗(やまずみ)神社近くの尾根上に、「山屋館経塚」が所在します。 経塚とは仏教信仰に基づいて経典を納めた塚です。山屋館経塚には4基の経塚が築かれており、経典を納めた容器である「三筋文壺(さんきんもんこ)」「波状文四耳壺(はじょうもんしじこ)」などが、出土しています。