志賀理和気神社(しかりわけじんじゃ)

志賀理和気神社(しかりわけじんじゃ)

【創建】 社伝では、延暦23年(804年)に坂上田村麻呂が、東北開拓守護神として経津主命(香取神)・武甕槌命(鹿島神)を勧請したことに始まるという。 9世紀初頭において、一帯では志波城造営(803年)・斯波郡(紫波郡)建置・徳丹城造営(811年)などの開拓が進んでおり、当社も蝦夷平定の報謝と一帯の鎮護のため、その時期に創建されたと見られている。 奥羽の式内社では地主神を包摂しつつ中央神を勧請して創建される例が多いが、当社がその場合にあたるかは明らかでなく、神名「志賀理和気」の由来も定かではない。  紫波町に初秋を告げる志賀理和氣神社の例大祭。神社の境内と町の中心部で行われ、様々な芸能が披露される。それぞれに見応えがある山車は4台あり、町を練り歩き地元の商店街を賑わせる。 寛政年間に京都で造られた総ひのきの御輿の渡御も豪華絢爛。 また、乗馬5頭、沿岸地域の虎舞、鹿踊り、星山神楽、赤沢神楽などが参加する総勢約二千人の大行列も開催。町の中心部の商店 街では沢山の屋台が出て賑わいをみせる。 参道の古い桜並木(ヒガンザクラ群)は町指定の天然記念物になっています。南面の桜にまつわる恋の伝説もあります。

住所 紫波町桜町本町川原1
電話番号 019-672-2767

近くのスポット

  • 桜町田植踊り【紫波町無形民俗文化財】

    • 郷土芸能
    住所 岩手県紫波郡紫波町桜町字中屋敷5-2

    桜町田植踊の歴史は平泉に藤原氏が栄え始めた頃から田植踊とか、大神楽のような芸能が伝承され、明治初期まで踊られたそうです。しかし、後継者がいなくなり途絶えておりました。その後、明治22年埼紫波町桜町の与十郎家(現在の高橋次男家)が中心となって(家元)復活し、伝承されて来ましたが、やはり後継不足等の問題で昭和32年以降消滅しておりました。

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  • 比爪館(ひづめのたち)跡

    • 城館
    • 平泉樋爪
    • 歴史・文化
    住所 紫波町南日詰字箱清水 赤石小学校付近

    比爪 もうひとつの平泉 比爪館は、平泉初代藤原清衡(ふじわらのきよひら)の四男清綱(きよつな)がここに派遣され、その子、太郎俊衡(たろうとしひら)、五郎季衡(ごろうすえひら) らが居を構えて比爪の地の産金等を支配したとされています。

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  • 株式会社 高幸

    • 買う
    住所 岩手県紫波郡紫波町桜町字中屋敷5番地3

    家具・建具の修理やアレンジから、ソファ-・壁紙・床・ ふすま・障子などの張り替え・お家のリフォ-ムまで暮らしの お手伝いをいたします。

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  • 五郎沼薬師神社

    • 平泉樋爪
    • 歴史・文化
    • 神社仏閣
    住所 紫波町南日詰字箱清水189

    比爪館の区画内部の南西部には「薬師神社」が鎮座しています。この薬師神社は大荘厳寺の「鎮守社」と推測されます。「鎮守社」とは、寺院境内地の土地の神を祀る、寺院内に設置される神社のことです。 大荘厳寺の盛岡移転の際に、土地神を祀る鎮守社は故地に残されたものと考えられ、薬師神社の周辺が、大荘厳寺の境内地であったと推測できます。

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  • 五郎沼経塚

    • 平泉樋爪
    • 歴史・文化
    住所 紫波町南日詰字箱清水 五郎沼南東部

    五郎沼経塚は、昭和9年に「恩賜(おんし)の郷倉(ごうそう)」建設の際に偶然発見された経塚です。 その具体的な地点ははっきりしていませんでしたが、比爪館に南接する五郎沼の南東岸に所在したと推測されます。

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