長岡城跡

長岡城跡

西長岡の北東部、天王川(てんのうがわ)下流左岸の館山山頂に位置。斯波氏の重臣長岡八右衛門詮尹の居城と伝えられています。天正16年(1588年)斯波三郎詮直(あきなお)が南部信直の攻略をうけた時、長岡には一揆が起こり長岡氏も身動きできず、孤立無援の斯波詮直は一戦も交えず山王海へ亡命したと伝えられます(「奥南旧指録」など)。南部領諸城破却書上には南部東権助持分とあって平城とされていますが、当城は山城であり、これは居城が平地にあったことによるといいます。慶長5年(1600年)、和賀に一揆が起きた際、山王海に亡命していた詮直が再起を図って当城へ押し寄せましたが、具志田与惣なる者が心変りして城中へ入れず、詮直は大萱生(おおがゆ)(盛岡市都南)へ向かったといわれています(聞老遺事)。城跡は館山の尾根の分派が北上沖積地に突き出した丘陵を利用しています。山頂部に内堀と土塁が四周をめぐっていて、中腹には外堀が残り、北東と南西に対称的な張出し郭が続き、それぞれに四つ7段の削平地がみられます。焼米が出土します。

住所 紫波町東長岡字竹洞地内

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    住所 紫波町東長岡字竹洞地内

    西長岡の北東部、天王川(てんのうがわ)下流左岸の館山山頂に位置。斯波氏の重臣長岡八右衛門詮尹の居城と伝えられています。天正16年(1588年)斯波三郎(さぶろう)詮(あき)直(なお)が南部信直の攻略をうけた時、長岡には一揆が起こり長岡氏も身動きできず、孤立無援の斯波詮直は一戦も交えず山王海へ亡命したと伝えられます(「奥南旧指録」など)。南部領諸城破却書上には南部東権助持分とあって平城とされていますが、当城は山城であり、これは居城が平地にあったことによるといいます。

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