一般社団法人紫波町観光交流協会

郷土芸能

犬吠森念仏剣舞保存会 【県指定無形民俗文化財】

岩手県教育委員会の調査資料によると、永禄年中(1558~1569)に盛岡市太田の上鹿妻より、赤沢村遠山の与五右衛門氏が伝授を受けたと記されている。その後元禄6年(1693)に与五右衛門氏が遠山での伝承が困難のため、犬吠森に踊りを伝授したものである。戦時中は供養だけ続け、戦後復活したが長続きはせず、昭…

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日詰かじ町さんさ【紫波町無形民俗文化財】

日詰の旧鍛冶町は日詰の北の入口に当り、藩政期、町の中心地が豪商軒を並べる商業地域であったのに対して、ここは鍛冶屋など様々な職人や農民が住む活気のある土地柄で、芸能を好む風土でもあった。昭和10年ごろ赤沢村舟久保からここへ婿入りした赤沢正悦は舟久保さんさ踊りをベースに、県内の念仏剣舞など主要な芸能の特…

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舟久保さんさ踊り【紫波町無形民俗文化財】

口伝によると、藤原氏の栄えた頃に平泉の方からこの地域に来て金の採掘に従事した人々によって踊り始まったものが、土地の人々に伝わり、現在に至ったものという。ちなみに現紫波町の、佐比内・赤沢・長岡の東部山間地区には大小の金山が散在し、採金に関わる人々が諸国から集ったといわれている。そのためかこれらの地域に…

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紫波権現堂さんさ踊り【紫波無形民俗文化財】

昭和54年、旧志和農協ひまわり祭りの出演演目として、部落に定着した郷士芸能を求めて、当時の青年部長等3名にて、秋田県の「わらび座」を訪ねて、相談したところ、もっとも充実している旧都南村・三本柳のさんさ踊りを紹介していただいた。早速、三本柳さんさ踊りの世話役の所へ、お願いに行ったところ、「ひまわり祭り…

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二日町鹿踊【紫波町指定無形民俗文化財】

◇ 伝承の由来  二日町鹿踊は、現在、城山公園として親しまれている斯波氏の居城であった高水寺城のふもとの二日町が政治・経済・文化の中心地として栄えた頃の1500年代に伝わったものと言われています。一説によると、長岩寺の中興開祖と言われる梅岩嶺雪和尚が、伊勢から赴任した時に伝来したものとの言い伝えがあ…

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四ツ堰鹿踊【紫波町指定無形民俗文化財】

朝倉流四ツ堰慶子踊りと称し、巻物等によれば、二日町の踊りの伝承を受けたものとなっているが、現状を見る限り相似点は全く無く、むしろ耳取型に近いものを思われますが、これはいつの時代にか後継者がなく中絶したものを、後年に復活する時に変ったものと考えたいと思います。現在遺されている文書によると -、正徳二年…

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宮手鹿踊【紫波町無形民俗文化財】

当保存会の歴史は、源頼義・義家父子によって行われた、前九年の役のある時に、安部貞任攻略の折に宮手の森陣ヶ岡に陣営を構え、将兵をさせた時に一頭の大鹿が現れ、将軍達の道案内をした。かくて戦いは勝利を収める事ができ、その戦いの祝いの宴で将兵達が、その時の鹿の様子をまねて踊り楽しんだ。それが後世に伝わり宮手…

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春日流紫野鹿踊

正徳年間、紫野の三右ェ門家に徳丹村の仁左ェ門家の娘が嫁に来た。当時から両家の農作業等互いに行き来あり。徳丹村に伝わる鹿踊を三右ェ門家の若衆達が見真似で紫野に鹿踊が生まれたといわれており、これより三右ェ門家を庭元として伝承されて来たものである。この時彼の嫁さんが「女鹿踊由来」一軸の巻物を徳丹村より持ち…

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平沢鹿踊【紫波町無形民俗文化財】

約240年前宝暦4年町内長岡の耳取家稲垣氏の先代から分家して煙山に入植し開拓に従事し、地名も稲垣家の由緒深い駒止の松を讃えて耳取りと名づけた。分家に際し、稲垣家より鹿踊に関する巻物一巻を授けられた。開拓の伴侶として精進するように授けられたものである。その後集落は苦難の道を歩みながらも繁栄の兆を馳せて…

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中陣大神楽【紫波町無形民俗文化財】

陣ヶ岡は町北西部にある小高い丘陵地帯で、古くから郷士歴史の宝庫といわれている。昔、源頼義・義家父子が厨川に進駐し勝利をあげる前九年の役(1051年~1062年)の折、陣ヶ岡に駐留し祝宴を催した時、四方の悪魔祓いとして獅子舞を、住民の守護と幸を祈って囃子舞を舞わせたといわれ、それが土地の人達に伝え残さ…

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沢田大神楽【紫波町無形民俗文化財】

口伝によると、宝永年問(1704年~1711年)の旧正月に、源勝親なる老武将が、吉兵ェ館の政略の命を受けて当地へ来た折に、士気の鼓舞を図るということで、神楽を隠里寺、田植踊を常泉寺と二手に別けて踊らせた。その田植踊の余興として舞われたのが大神楽の舞・狂言であったと言われている。その事が功を奏してか、…

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彦部大神楽【紫波町無形民俗文化財】

私共の生まれ育った彦部の里には、紫波町の無形民俗文化財として指定されている芸能が二つあり、その一つが南部家の家臣、南部駒太夫の手によって舞い広められた七幹舞(大神楽)がこの地に伝承され六角舞として舞われ、後に手振りに工夫を加えた舞が、その先達片岸家によって片岸舞と称し現代に至っている訳ですが、その片…

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南日詰大神楽【紫波町無形民俗文化財】

その昔、江戸より慰問として七軒町と称する芸能の一団が奥州にやって来た。主な踊りは獅子舞、はやし舞、万才、狂言など表裏24の踊であった。南部公と共に、稗貫八重畑に居た、南部の分家の地家を訪ねる途中、新堀六角で庄屋を務める佐藤秀右ェ門忠兼の家に休泊した時、旅のつれづれに教え遺したのが大神楽であった。その…

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星山神楽保存会【紫波町指定無形民俗文化財】

神楽別当家の獅子頭には大正年代のものもあり、当時から神楽が親しまれていた。地区発展、家内安全、子孫繁栄、無病息災を祈り昭和6年大迫町大償神楽に正式に弟子入りし、翌昭和7年3月1日、百沢神社で初舞奉納したのが始まり。当時、米一俵は8円20銭、脱退すると、米3俵罰として納めるという固い契りの下、9人で発…

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稲藤神楽

由来沿革等は明確ではない。稲荷神楽、馬場神楽、稲藤神楽と伝承されてきたと古老の話。又、獅子頭の幕に明治5年8月稲藤神楽と染め抜いた物を、若い時代に間違いなく見て読んだ記憶があり、百有余年の芸能保存の後継であると信じております。ある有識者は岳か大償の山伏神楽を学べと云いますが、莫大な経費とその捻出に困…

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赤沢神楽【紫波町無形民俗文化財】

ユネスコ無形文化遺産・国指定無形民俗文化財である早池峰流岳神楽を今より230年前に地域の大輩の師匠有志伝承を受けた。当時天明の飢餓と人心の乱れと世情の衰えることを憂いて思想善導と民間娯楽を思い、岳より師を招いて神楽を伝承されたのが始まりと口伝されています。その幾多の盛衰を辿り、再度に亘り地域の有志に…

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桜町田植踊り【紫波町無形民俗文化財】

桜町田植踊の歴史は平泉に藤原氏が栄え始めた頃から田植踊とか、大神楽のような芸能が伝承され、明治初期まで踊られたそうです。しかし、後継者がいなくなり途絶えておりました。その後、明治22年埼紫波町桜町の与十郎家(現在の高橋次男家)が中心となって(家元)復活し、伝承されて来ましたが、やはり後継不足等の問題…

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岡田田植踊【紫波町無形民俗文化財】

伝承の由来については歴史的に証明するものは何もないが、長老の話や古文書によると、金売吉次、鉱山師孫六、是信房などが伝えたとされる。特定はできないが、平泉が繁栄している時期というのが定説なようだ。昭和27年頃、畠山憲造、高橋正三等によって復活。それ以前は松川健次郎の手記には山屋に師事したとある。昭和4…

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彦部田植踊【紫波町無形民俗文化財】

788年昔の建保3年(1215年)から文永年間に至る50年の間浄土真宗の開祖親鸞聖人の高弟の中、10番に位したという是信房が師の意を享けて奥羽に下り仏縁あってか彦部の小深田家彦太夫方に草鞋を脱がれ、石ケ森山に本誓寺を興された。その時、従者として随行した橋本作内(現橋本彦三家49代の祖)と千原三ェ門(…

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山屋田植踊 【国・重要無形民俗文化財】

その昔山屋部落では砂金がよく取れ、採金業が盛んに行われていた。平泉藤原氏の時代に砂金採掘の為に京より来住した「孫六」なる人が好んで田楽、田舞などを踊り、土地の豪族菅原氏を介して里人を踊らせたものが、土地での変遷を経て現在に伝わったものであるといわれている。また、山屋田植踊に古くから遺され伝わっている…

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遠山田植踊【紫波町無形民俗文化財】

遠山にはずっと古くから様々な民俗芸能が育つ場所され、田植踊のほか念仏剣舞や奴踊などもあったと伝えられる。佐比内(さひない)から北の地域で、その昔、金の採掘で賑わった時、郷土芸能も盛んだったと推察されるが、文書などによる由緒はなく、はっきりはしない。言い伝えでは鎌倉時代(約800年前)に平泉を経て、青…

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