志和八幡神社
白山神社
田村麻呂、蝦夷征伐の後、その報恩と両軍戦死者の霊を弔うため一寺建立。安置されている十一面観音は、慈覚大師が承和の末に彫刻したものともいわれ、別当一代にして一回の開帳とされています。
黄金堂
境内にはこの寺を借りて寺子屋を開き、後に明治の学制が発布から2年間、称名寺に片寄小学校の仮校舎が置かれた際には教鞭をとった、羽生利兵衛の功績をたたえた「筆塚」と刻まれた石碑があります。本尊の木造阿弥陀如来立像は、紫波町の文化財となっています。
戦国時代の1507年に開山したとの記録があります。位牌堂の後ろに、高さ18m以上と大きく枝を広げたシラカシがあり、紫波町の天然記念物に指定されています。仏像は、貞治五年伝薬師如来像で、紫波町の文化財となっています。
1558年に郷士によって開かれ、聖徳太子十六歳の木造が安置されていて、慈覚大師が東北巡錫(834~48年)の際に御堂を建て、尊像を彫刻して奉安したとの言い伝えがあります。鐘つき堂は、昭和55年に映画「男はつらいよ」に寅さんがうたたねをして夢をみるシーンのロケが行われました。本堂裏には、約200年前に平泉の毛越寺から貰い受けた株と伝えられるおよそ600本の孟宗竹の群落、樹齢200年余の岩手県内で4番目の大樹であるシダレザクラは、紫波町の天然記念物に指定されています。
願円寺山門
新山神社は昔は新山権現といい、斯波氏の頃は新山寺といって、郡内有数の寺院であったといわれています。一説には藤原秀衡の時代にさかのぼる祈願所であったとの言い伝えもあります。かつて新山寺の参道には18ヵ所の坊舎が造られ、出羽三山に関係する僧兵が駐留し、東北の高野山ともいわれるほど盛んだったそうです。
志和のおいなりさんと仰がれて、車のお祓い・厄祓(厄年祓)・合格祈願には特に霊験あらたかな神様として、全国各地から多くの参拝者が訪れます。千年の大杉は稲荷神社を象徴し、信仰者は延命長寿をこの老杉に祈り、白きつねの白毛を根元から探し求める風習があります。
御祭神は「開運福徳の神」「産業の神」として尊崇されている『宇迦御魂命』で、あらゆる生業に幸福を与え給う神として崇敬されています。昭和29年9月26日台風15号により、社前の御神木大杉が倒伏した際、その根本の空洞の土の中から御眷属「白きつねのミイラ」が出現し、御眷属社の中に安置されています。
5月上旬から6月下旬に限定出荷される無農薬栽培のフルーツアスパラは、甘みがあって瑞々しいと大評判。「ちゃんこネギ」などのブランド野菜も開発して商品化しています。
築年数240年以上の108坪もある大型の南部曲り家です。座敷の上手に立派な庭園を遺し、普通の民家ではなく、家格の高い家構えを示しています。座敷の上手には庭園もあり、建物と庭園、周囲の環境が一体となって、好ましい景観を形成しています。
本堂は1817年に建立されました。本尊仏に、純白の大理石を使った弥勒菩薩像を安置しています。夢殿の前には、4mに及ぶ仁王の石造があります。
南部杜氏の技と若い感性を生かし、米のうまみを引き出す酒を目指し、純米酒、純米吟醸酒を中心に造っています。「廣く多くの人々に喜ばれる酒」として生まれた「廣喜」は、今でも当蔵を代表として親しまれています。