志和稲荷神社
田村麻呂、蝦夷征伐の後、その報恩と両軍戦死者の霊を弔うため一寺建立。安置されている十一面観音は、慈覚大師が承和の末に彫刻したものともいわれ、別当一代にして一回の開帳とされています。
当初は専修院と称して江戸時代(1619年)に開かれました。仏像は木造阿弥陀如来立像(約80センチ)はその姿から黒仏様とか黒本尊と呼ばれ、恵心僧都の作と伝えられ、紫波町の文化財に指定されています。
開創は古く、本寺である名越大本山円通寺の記録によると、戦国時代の1507年の開山とあります。安置される貞治五年伝薬師如来塑像は紫波町の文化財に指定されています。また、位牌堂の後ろには、紫波町の天然記念物に指定の、高さ18三上に大きく枝を広げたシワカシがあります。
1558年に郷士によって開かれ、聖徳太子十六歳の木造が安置されていて、慈覚大師が東北巡錫(834~48年)の際に御堂を建て、尊像を彫刻して奉安したとの言い伝えがあります。鐘つき堂は、昭和55年に映画「男はつらいよ」に寅さんがうたたねをして夢をみるシーンのロケが行われました。本堂裏には、約200年前に平泉の毛越寺から貰い受けた株と伝えられるおよそ600本の孟宗竹の群落、樹齢200年余の岩手県内で4番目の大樹であるシダレザクラは、紫波町の天然記念物に指定されています。
願円寺境内の樹木
新山神社は昔は新山権現といい、斯波氏の頃は新山寺といって、郡内有数の寺院であったといわれています。一説には藤原秀衡の時代にさかのぼる祈願所であったとの言い伝えもあります。かつて新山寺の参道には18ヵ所の坊舎が造られ、出羽三山に関係する僧兵が駐留し、東北の高野山ともいわれるほど盛んだったそうです。
志和のおいなりさんと仰がれて、車のお祓い・厄祓(厄年祓)・合格祈願には特に霊験あらたかな神様として、全国各地から多くの参拝者が訪れます。千年の大杉は稲荷神社を象徴し、信仰者は延命長寿をこの老杉に祈り、白きつねの白毛を根元から探し求める風習があります。
志和稲荷神社
御祭神は「開運福徳の神」「産業の神」として尊崇されている『宇迦御魂命』で、あらゆる生業に幸福を与え給う神として崇敬されています。昭和29年9月26日台風15号により、社前の御神木大杉が倒伏した際、その根本の空洞の土の中から御眷属「白きつねのミイラ」が出現し、御眷属社の中に安置されています。
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水分神社は、水配みくまりという意味があり、水の神として祀まつられたところです。秀峰東根山あずまねさんの麓に位置し、周囲は樹齢およそ700年位の杉の群生に囲まれ、豊かな自然の恵みとして、古くから良質な水が湧き出ています。坂を上り見えてくるのが、17本の天然杉。ここの湧水は美味しいと評判で、わざわざ汲みに来る人たちがいるほどです。