紫波町日詰字東裏87-2
◆客室数
11室
◆素泊まり 4,500円
◆朝食付き 5,500円
夕食付 6,000円
二食付 7,000円
TEL 019-676-3002
FAX 019-676-3388
創業100年趣のある老舗旅館。
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藤原嘉藤治宅 ふじわらかとうじたく 明治29(1896)年2月10日、小屋敷の屋号鍛冶屋敷に生れた。大正5(1916)年、岩手師範学校本科一部卒業。県内小学校教師。大正10(1921)年9月、県立花巻女学校の音楽教師となった頃から宮澤賢治と親交が続いた。賢治没後、賢治を世に出すため奔走した。昭和…
須川長之助生家と墓地 すかわちょうのすけせいかとぼち 天保13(1842)2月、下松本字元地81-2、屋号薬師堂に生れた。世界的植物学者カール・ヨハン・マクシモ―ビチ(ロシア人)のもとで、植物採集を手伝い、万延元(1860)年から明治23(1890)年まで、植物採集のため全国を行脚し、新種の発見…
巽聖歌関連遺跡 たつみせいかかんれんいせき 明治38(1905)年2月12日、鍛冶屋野村吉兵衛の7人兄弟姉妹の末っ子(4男)として日詰字西裏で生れた。後父の死後長兄が国道4号線筋の向町(桜町字下河川原38)に移転し、鍛冶屋(屋号野村鍛冶)を引き続き営み、ここで巽聖歌は少年時代を過ごした。本名野村…
元岩手県知事 中村直 なかむらただし (1912~1996) 昭和35年から3年間岩手県医療局初代局長。副知事、岩手銀行専務を経て、昭和51年から衆議院議員2年3ヶ月。昭和54年から岩手県知事を3期12年間務め、県立紫波病院の建設に尽力するなど多くの功績を残しました。
万葉集研究家、第一高等学校校長 菊池寿人 きくちひさと (1864~1942) 明治31年から第一高等学校(現東京大学)の国文学教授を務め、同校第16代校長に就任。各界で活躍する著名人を教育しました。
植物採集研究者 須川長之助 すかわちょうのすけ (1842~1925) ロシアの植物学者マキシモービチ博士と出会い、植物採集で全国を行脚し、チョウノスケソウなどに、その名が残る植物採集研究者です。
多産鶏、蚕種改良の 橋本善太 はしもとぜんた (1892~1956) 養鶏家として、年366卵の世界記録を樹立した産卵率が高く肉質の良い 「ゼンタックス」の生みの親。蚕種改良にも貢献した篤農家です。
児童文学者・歌人 巽聖歌 たつみせいか(1905~1973) 北原白秋門下の歌人で、童謡「たきび」の作者。日詰、赤石小学校、紫波第一中学校など町内の小・中学校の校歌も作詞しています。
紫波町初代町長 村谷永一郎 むらたにえいいちろう (1909~1969) 昭和30年の1町8か村合併から、紫波町初代町長を4期14年8カ月務め、中学校の統合や国民体育大会自転車競技の誘致など、町の基礎を築きました。
音楽評論家、「銭形平次捕物控」作者 野村胡堂 のむらこどう (1882~1963) 「銭形平次捕物控(ぜにがたへいじとりものひかえ)」の作者であり、「あらえびす」のペンネームで世界初の音楽評論を記事にした人物です。野村胡堂の生家を望む高台に「野村胡堂・あらえびす記念館」があります。
【標柱】五郎沼遺跡 (ごろうぬまいせき) 五郎沼遺跡は、紫波町指定文化財の史跡「樋爪館跡」区域内の南部にあり、東側は紫波町南日詰字箱清水の国道4号に接しています。 現在は南北に細長い形ですが、これは明治以降の干拓によるもので、それ以前は現在よりもおよそ2倍西側に広がる形で、大きさは南北450…
【標柱】五枚平金山跡 (ごまいひらきんざんあと) 佐比内字外ヶ沢の紫波町佐比内サイクルパーク内に所在する金山跡です。 仙台鉱山監督局の「東北鉱山風土記」によれば、確実と思われる創始年代を治承2年(1178)とし、創始者は藤原秀衡となっています。
【標柱】五郎沼経塚跡 (ごろうぬまけいづかあと) 国道4号線沿いの五郎沼南東部堤体の小高い場所にあり、沼の向うに紫波三山が連なり、北西奥に岩手山が遠望できます。 五郎沼経塚跡は、昭和9年それまで「蛇の塚」と呼ばれ古墳とされていた場所に「恩賜の郷倉」を建設する際、偶然発見されました。出土した経…
田園が一望できる東根山の麓、地元紫波町産の蕎麦粉100%を使ってのそば打ち体験。自分で打った蕎麦の味はまた格別な味、初めての方もとっても簡単なのでご安心ください。お母さん方が丁寧に教えます。出張体験致します。詳しくはお問い合わせください。 オガ-ル緑の大通りで毎月第一日曜日限定で食べられます。(オガ…