紫波町遠山字松原1-11
019-676-5301
ここ紫波の食材であなたの作りたいをかなえます。ピザ作り、そば打ち、ソ-セ-ジ、タルトなど町内の農産物を使った手作り体験ができます。 農楽交流館では、バ-ベキュ-も楽しめます。その他高級ぶどう狩りや、サクランボ狩り、園内遊歩道散策も楽しめます。
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岩谷観世音(岩谷寺) いわやかんぜおん (いわやでら) 岩谷観世音は佐比内公民館の直ぐ近くに所在します。延暦年間(782~806)征夷大将軍坂上田村麻呂が蝦夷征討の際に、戦勝祈願と洞窟に隠れていた敵軍の戦死者の冥福を祈って、観音像を安置したことが創建と伝えられています。 この時期は、伝教大師…
キリシタン墓碑 きりしたんぼひ(町指定文化財) 紫波町指定文化財(考古資料)キリシタン墓碑は、自然石に十字架をかたどるように草花の模様が刻まれた石碑4基です。高さは50から80cmまでと様々ですが、キリシタンの墓と伝えられています。 佐比内地域は朴ノ木金山をはじめとする産金地帯として知られ、…
佐比内金山太鼓 さひないきんざんだいこ 「歴史を太鼓にのせて活ある里づくり」をキャッチフレーズに、今を遡る400年の昔、産金で栄えた華やかな佐比内の歴史を背景に小学校校舎改築記念として、子供達に文化をと、地域が一丸となって誕生した紫波町初の創作太鼓である。 毎年8月14日には、佐比内金山祭を…
正和元年磨崖碑 しょうわがんねんまがいひ 赤沢字駒場地に所在する「正和元年磨崖碑」は、正和元年【1312年】7月28日と刻まれている。その石碑には「阿弥陀3尊を表す梵字(キリーク)(サ)(サク)と年号(正和元年七月廿八日)」と刻まれている。 この正和元年磨崖碑の他に周辺の田中地区に5基、向井…
伝蓮華寺廃寺跡 でんれんげはいじあと 蓮華寺は、古くは白山権現社の山寺号を寂静山蓮華寺と称し、鎮守社と別当寺の関係であったとも言われております。 開基は僧侶、義善覚慶と伝えられている。いつの時代に造られたかは記されているものはないが、現在、岩手県指定の文化財として紫波町遠山の正音寺境内の収納…
赤沢石卒都婆群 あかざわいしそとばぐん 町指定文化財(考古資料) 駒場に1基、田中に5基、向井4基と三か所分散しています。駒場のものは磨崖(まがい)碑で、内刳りした岩面に阿弥陀三尊を表す梵字「キリーク」「サ」「サク」と、正和元年(1312)7月28日と刻まれ、向井のものには金剛界大日如来を表…
東長岡永仁三年碑 ひがしながおかえいにんさんねんひ 町指定文化財(考古資料) 中世に建てられた供養碑の一種で、岩手県内内陸部有数の古碑です。碑面には梵字で「キリーク」「サ」「サク」と刻まれ、「阿弥陀如来」「聖観音菩薩」「勢至菩薩」の阿弥陀三尊を表しています。その下には華瓶が一対刻まれていますが…
お問い合わせの連絡先 赤沢公民館長 工藤様までご連絡下さい。 (携帯電)080-1652-6695 現地の状況を確認のうえ、見学の可否をお答えします。 大人500円 子ども300円
野村胡堂生家 のむらこどうせいか 野村胡堂・あらえびすは、明治15年(1882)10月15日、野村長四郎・まさの二男として生れた。本名長一(おさかず)。彦部尋常小学校、紫波尋常高等小学校を経て盛岡中学校、東京第一高等学校、東京帝国大学仏法科へと進むが、卒業寸前で中退。橋本ハナ(彦部の屋号柏屋の二…
是信房墓所 ぜしんぼうぼしょ 是信房とは 是信房は、治承4年頃(1180年頃)、京都で生れた。俗名吉田大納言藤原信明(ふじわらのしげあき)といい、朝廷(京都で天皇が政治を行うところ)に仕えていたが、思わぬ罪により、越前国(福井県)に流刑された。その後無実の罪であることがわかり、罪をゆるされたが…
千手観音堂 せんじゅかんのんどう 彦部の南端、花巻市新堀に接する、彦部字千手堂にあり、千手観音の仏像を安置する堂で、東国三十三観音に列する。 当観音は大同年間(806~809)、坂上田村麻呂勅命を蒙り東夷征伐として下向の際、自作の像にして常に甲冑に蔵した護自の像であったものをここに安置したと…
白山館遺跡 はくさんだていせきだていせき 1.赤沢地区の城館 赤沢地区は11カ所の城館があり、紫波町内でも城館の密集地帯である。時代的に同時代に存在したとも限らないが、それにしても中山間地で、平坦部の農地が少ない場所に城館が多い。赤沢川の上流域には金山が存在し、流路から今でも砂金が見つかること…
大巻館(河村館)跡 おおまきだて(かわむらだて)あと 《町指定文化財》 南朝側として斯波氏(北朝)と戦った河村一族の拠点城郭。 紫波南大橋を東に向かって渡ると正面に大巻館のある、なだらかな丘が見えてくる。高水寺城の南東3km、北上川左岸の丘陵「館山」にあり、北西方向に犬吠森館、高水寺城、西方…
佐比内城跡 さひないじょうあと 《町指定文化財》 別名:佐比内館、神田館 築城者:河村氏 形式:平山城 遺構:郭・土塁・空堀 規模:250m×250m、標高175m、比高45m 町指定史跡 館跡は館南方の佐比内川に中沢川が合流する右岸の山上にあり、尾根続きの北側を除く三方はいずれ…
長岡城跡 ながおかじょうあと 西側に蛇行する北上川左岸の丘陵「館山」に占地する。東西400m、南北350m、比高は33mである。かっては北上川が裾野を流れ船着き場があったとも思われる。項部は東西50~70m、南北120mほどの平坦面をなし、外周は空堀と土塁が巡る。さらに北東には30m幅の一段低い…
山屋経塚跡 やまやきょうづか 《県指定有形文化財 遺跡コードLE59-2112》 【写真1】常滑産三筋文壺 【写真2】須恵器系波状文四耳壺など 北上川流域の田園風景と東根山の山並みを望む山の中腹で、雑木林に埋もれた積石列の下から4基の経塚が発見された。末法と信じられた平安末期、仏教経典を末…
立福山鳳仙寺 りゅうふくざんほうせんじ(曹洞宗) 鳳仙寺は、県道から杉並木を約100㍍入ったところが境内です。墓地になっているなだらかな裏山の裾に、こんもりと茂っている老松、大いちょうなどに囲まれて、ひっそりとした佇まいをしています。本尊は釈迦牟尼仏で遠野市大慈寺の末寺です。 寛文元年(16…
石森山正養寺 (せきしんざんしょうようじ)(真宗大谷派) 正養寺は、彦部の本誓寺が天正12年(1584)に二日町へ移転したので、その旧跡に建てられました。寛永年代(1624~1644)、東本願寺から「正養寺」の称号を給わったといわれています。本尊は阿弥陀如来。 開基は是信房(親鸞聖人の御弟子…
養竜山高金寺 (ようりゅうざんこうきんじ)(曹洞宗) 高金寺は、黒石正法寺の直末であり、曹叟天渓(そうそうてんけい)大和尚の開創。永正2年(1505、川村氏の花嶺春公大姉の開基で、本尊は釈迦牟尼仏です。 初め山居沢の地に滝浦高吟庵として開かれ、金山の勃興により達磨堂に移って興金庵となり、寺号…
近城山長徳寺 (きんじょうざんちょうとくじ) (曹洞宗) 文亀2年(1502)の開山。寺伝によれば大巻の赤川館主葛原義敬が無底禅師のために、黒石山に仏殿を造営して近城軒と称しました。その後、義敬の子孫伯耆(ほうき)が加州(石川県)石川郡宗得寺の四世恵全のため、旧跡へ近城軒を再建しました。 天…
法廣山正音寺 (ほうこうざんしょうおんじ)(曹洞宗)/木造毘沙門天立像(もくぞうびしゃもんてんりゅうぞう)・木造降三世明王像他(町指定文化財) 《県指定文化財(彫刻) 木像毘沙門天立像/木像明王像(もくぞうみょうおうぞう)四体/町指定文化財(工芸品) 正音寺銅鐘(しょうおんじどうしょう)》 正…
松嶋山江岸寺 (しょうとうざんこうがんじ)(曹洞宗) 江岸寺は、慶長10年(1605)に栃内与兵衛氏の招請に応じた花巻市大迫町内川目の桂林寺三世梵玖(ぼんきゅう)和尚により開山しました。 当時は北上川近くの栃内館の地続きにありましたが、たびたび洪水の被害を受けたため、寛政年間(1789~18…
円明山常光寺 (えんみょうざんじょうこうじ)(曹洞宗)/東長岡永仁三年碑 (ひがしながおかえいにんさんねんひ)(町指定文化財) 常光寺は、明応5年(1496)江刺正法寺二世月泉良印大和尚月峰派柏庭の嗣、湖心寿徳和尚が長岡の長谷田に常光庵を開創。延宝元年(1673)に火災に遭い、同4年(1676…
御神明のカツラ (ごじんみょうのかつら)(町指定文化財(天然記念物) カツラはカツラ科系に属する高木で一科一属のものです。岩手県には多く生息し、種類は根本から分岐する千本カツラ系と孤立木の二つに大別されます。この樹は孤立木が途中で二本に分かれたもので、カツラとしては県内有数の大樹です。 御神…
アサダ (町指定文化財(天然記念物) アサダはカバノキ科の落葉高木です。県内では低山地にしばしば見られ、樹皮は片状に縦にはげるのが特徴です。雌雄同株で5月頃葉の出る前に枝先に黄褐色で丸いひも状の雄花をつけ、新しい枝先に洗緑色の雌花をつけます。 県内では北上山地に主として分布します。材は堅く家…
ナラカシワ (町指定文化財(天然記念物) ナラカシワは岩手県・秋田県に分布するブナ科の落葉高木です。紫波町は分布の北限域と目され、長岡の八坂神社境内南側の杉林に自生する、このナラカシワは最北のものと言えます。 昭和50年(1975)指定。指定当時の推定樹齢不明。
サワラ (町指定文化財(天然記念物) サワラはヒノキ科の常緑高木でヒノキによく似ています。当地で代々堰守や山守を任ぜられていた半田五右衛門にゆかりをもつ樹木と伝えられ、九戸政実の家臣半田五右衛門が若君亀千代を匿った屋敷の庭に植えたものであるとも伝えられています。指定当時は岩手県内で六番目の大…
大峯のカリン (おおみねのかりん)(町指定文化財(天然記念物) カリンはバラ科の落葉高木で原産地は中国南部です。樹皮は緑色を帯びた褐色で滑らかです。花は淡い紅色で4月頃に開花し、10月頃に実が熟して芳香を放ちます。カリンとしては県内有数の大木といわれています。 昭和50年(1975)指定。…
八坂神社(東長岡) (やさかじんじゃ)(ひがしながおか)/ナラカシワ(町指定文化財) 祭 神 素戔鳴尊(すさのおのみこと) 祭 日 例祭旧6月15日 年越祭12月17日 由 緒 延暦年中(782~805)、坂上田村麻呂が素戔鳴(すさのおの)尊(み…
山祇神社 (山屋)(やまづみじんじゃ)(やまや) 祭 神 大山祇命(おおやまづみのみこと) 祭 日 例祭9月3日 由 緒 里伝によれば、田村将軍がこの所に十一面観世音を勧請して熊野山照光寺と称したが、後に東国三十三観音札所の内十二番山寺観世音と称え、詠歌「松…
青麻神社 (あおそじんじゃ) 祭 神 国常立命(くにとこたちのみこと) 大日霊孁命(おおひるめのみこと) 神日本磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと) 祭 日 例祭8月15日 年越祭12月17日 由 緒 往昔、源義家、安倍征伐のため東奥…
白山神社 (赤沢)(はくさんじんじゃ)(あかさわ)/白山館遺跡 (はくさんだていせき) 遺跡コード:LE68.1267 祭 神 伊弉冉命(いざなみのみこと) 祭 日 例祭4月29日 由 緒 勧請年月は不詳です。延暦年中(782~805)、坂…
熊野神社 (佐比内)(くまのじんじゃ)(さひない) 祭 神 伊弉那諾命(いざなぎのみこと) 伊弉冉命(いざなみのみこと) 祭 日 例祭10月17日 年越祭12月17日 由 緒 延暦20年(801)、坂上田村麻呂が征夷大将軍として東下し深く奥…
館森神社 (たてもりじんじゃ) 祭 神 武甕槌命(たけかつちのみこと) 経津主命(ふつぬしのみこと) 祭 日 例祭9月8日 由 緒 坂上田村麻呂、志波城の支城を当所に築き、鎮守の神として鹿島香取の神を勧請したのが、本社の創祀です。万延元年(18…
百澤神社 (ももざわじんじゃ) 祭 神 猿田彦命(さるたひこのみこと) 祭 日 例祭9月9日 由 緒 元禄年間(1688~1703)、この地に悪疫が流行したり、怪火が突発して民家十数戸が焼失するなど、旱天が続いて被害が多く不安が絶えませんでした。…
堤嶋神社 (つつみしまじんじゃ) 祭 神 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと) 瑞津姫命(たきつひめのみこと) 田心姫命(たごりひめのみこと) 祭 日 例祭9月19日 年越祭12月19日 由 緒 往古より宗像神を鎮祭した小祠があって宗像神…
愛宕神社 (あたごじんじゃ) 祭 神 火之迦具土命(ほのかぐつちのみこと) 祭 日 例祭9月14日 由 緒 坂上田村麻呂が延暦22年(803)、志波城を築き、本村に一族の士を居住させ、鎮守の神として当愛宕山に祭られています。建武年中(1334~1338)…
栃内館遺跡 とちないだていせき 館主:栃内秀綱 形態:平城 遺構:堀跡 規模:100m×120m、 標高:105m 町指定史跡 栃内館は北上川河岸西側の低地にあったが、原状を留めているものは東西に延びる堀の一部のみである。堀の幅は16~18m、深さ6mで、築城時には残る三方も開削され…
星山館遺跡 ほしやまだていせき 星山館跡は高水寺城の南東約2km、北上川左岸にあり、かっては東側にも北上川が流れた痕跡があり、川に囲まれた中州上に館が築かれたのではないかと思われる。斯波氏の家臣、星山氏の居館と伝えられる。詳しくは『彦部の歴史』(彦部公民館)に詳しいので引用する。 「現時耕耘…
犬吠森館遺跡 いぬほえもりだていせき 犬吠森館は、高水寺城跡(城山公園)の東側、北上川を挟んだ,対岸に位置し、主郭は現在、舘盛神 社の境内となっている。いぜんは国道456号側から、鋼鉄製の階段で登れたが、現在は腐食して危険であるため通行できない。大手道は神社東側の道で、南または北側から入ることが…
牛ノ頭館遺跡 うしのかしらだていせき 日本城郭大系には「彦部館の東方1kmにあり、河村氏の属城といわれる。西に緩傾斜した構えで東南に堀の一部を残す」とあり、南部諸城の研究には「佐比内舘西北約4km、佐此内村牛ノ頭部落の北方約200mで、遠野街道の南側に当る。比高約20mで、南北約200m、東西約…
機織館(彦部館)遺跡 きおりだて(ひこべだて)いせき 別名:機織館 館主:彦部氏(斯波氏家臣) 形式:平山城 遺構:郭・土塁・空堀 規模:300m×300m 高さ:標高142m、比高35m 資料:『彦部村誌』 彦部館は佐比内川が南流して彦部川に合流する地点の佐比内川南岸の高地にあった。紫波…
【標柱】佐比内城跡 さひないじょうあと(紫波町指定史跡) 県道佐比内彦部線沿いの神田に所在し、佐比内川を北から見下ろす山上に位置する中世の城館跡です。 佐比内館の主は秀清を祖とする河村氏で、伝わる種々の系図の中には、八代秀基が元中(至徳)元年(1384)に大卷館より移ったとしているものがあり…
【標柱】 大卷館跡 (おおまきだてあと)(紫波町指定史跡) 北上川に架かる紫波南大橋から東方約1.5kmの館山にあり、別名河村館とも呼ばれる中世の城館跡です。 奥州合戦で源頼朝に功を認められた河村千鶴丸が秀清の名を授けられ、斯波郡河東を拝領し河村氏の祖となりました。川村氏は南北朝期には南朝方…
【標柱】牛ノ頭館遺跡 (うしのかしらだていせき) 県道佐比内彦部線沿いの牛ノ頭と田中前に所在する中~近世の城館跡です。 機織館(彦部館)の東方約1km、佐比内川の南に位置する場所で、郭や堀の跡が残っています。
地域への愛着を育み、地区内外の人びとの健康づくりと地域資源を紹介しようと、長岡全域をウォーキングエリアとして8つのコースを設定しました。
野村胡堂・あらえびす記念館 銭形平次捕物控をはじめ膨大な作品を執筆した胡堂の生涯を総合的に展示した記念館 あらえびすが愛したレコ-ド音楽を楽しむことが出来ます。
洞窟 船久保洞窟 (見学要予約) 紫波町東部から花巻市大迫町にかけて広がる石灰岩の層の最も北側に位置する、奥行き約176m、高さ6mほどの、横穴石灰銅。洞窟の奥には美しい鐘乳石がつらなる、約立方50mの広さの空間があります。ここから縄文後期から晩期にかけての土器などが出土したことから、先住民族の住…
道の駅紫波から車で3分、北側に雄大な岩手山・南側に葡萄畑と田園風景を見渡せる丘陵に広がるバラ園です。 園内には約610種1,500株以上のバラを植栽しており、年2回(6月上旬〜7月中旬、9月上旬〜10月下旬)開催するバラ祭り期間中に一斉に咲き乱れます。 南フランスを彷彿させる異国情緒漂う特別な空間で…
犬吠森念仏剣舞 (いぬほえもりねんぶつけんばい)(町指定文化財/民俗芸能) 岩手県教育委員会の調査資料によると、永禄年中(1558~1569)に盛岡市太田の上鹿妻より、赤沢村遠山の与五右衛門氏が伝授を受けたと記されています。その後元禄6年(1693)に与五右衛門氏が遠山での伝承が困難のため、…
船久保さんさ踊 (ふなくぼさんさ)(町指定文化財/民俗芸能) 口伝によると、藤原氏の栄えた頃に平泉の方からこの地域に来て金の採掘に従事した人々によって踊り始まったものが、土地の人々に伝わり、現在に至ったものといわれております。ちなみに現紫波町の、佐比内・赤沢・長岡の東部山間地区には大小の金山…
紫野鹿踊 (むらさきのししおどり)(町指定文化財/民俗芸能) 正徳年間、紫野の三右ェ門家に徳丹村の仁左ェ門家の娘が嫁に来ました。当時から両家の農作業等互いに行き来がありました。徳丹村に伝わる鹿踊を三右ェ門家の若衆達が見真似で紫野に鹿踊が生まれたといわれており、これより三右ェ門家を庭元として伝…
中陣大神楽 (ちゅうじんだいかぐら)(町指定文化財/民俗芸能) 陣ヶ岡は町北西部にある小高い丘陵地帯で、古くから郷士歴史の宝庫といわれています。昔、源頼義・義家父子が厨川に進駐し勝利をあげる前九年の役(1051年~1062年)の折、陣ヶ岡に駐留し祝宴を催した時、四方の悪魔祓いとして獅子舞を、…
彦部大神楽 (ひこべだいかぐら)(町指定文化財/民俗芸能) 私共の生まれ育った彦部の里には、紫波町の無形民俗文化財として指定されている芸能が二つあります。その一つが南部家の家臣、南部駒太夫の手によって舞い広められた七幹舞(大神楽)です。この地に伝承され六角舞として舞われ、後に手振りに工夫を加…
星山神楽 (ほしやまかぐら)(町指定文化財/民俗芸能) 神楽別当家の獅子頭には大正年代のものもあり、当時から神楽が親しまれていました。地区発展、家内安全、子孫繁栄、無病息災を祈り昭和6年大迫町大償神楽に正式に弟子入りし、翌昭和7年3月1日、百沢神社で初舞奉納したのが始まりといわれています。当…
神楽 (かぐら)(町指定文化財/民俗芸能) ユネスコ無形文化遺産・国指定無形民俗文化財である早池峰流岳神楽を今より230年前に地域の大輩の師匠有志伝承を受けました。当時天明の飢餓と人心の乱れと世情の衰えることを憂いて思想善導と民間娯楽を思い、岳より師を招いて神楽を伝承されたのが始まりと口伝さ…
彦部田植踊 (ひこべたうえおどり)(町指定文化財/民俗芸能) 788年昔の建保3年(1215年)から文永年間に至る50年の間浄土真宗の開祖親鸞聖人の高弟の中、10番に位したという是信房が師の意を享けて奥羽に下り仏縁あってか彦部の小深田家彦太夫方に草鞋を脱がれ、石ケ森山に本誓寺を興されました。…
山屋の田植踊 (やまやのたうえおどり)(国指定重要無形文化財/民俗芸能) その昔山屋部落では砂金がよく取れ、採金業が盛んに行われていました。平泉藤原氏の時代に砂金採掘の為に京より来住した「孫六」なる人が好んで田楽、田舞などを踊り、土地の豪族菅原氏を介して里人を踊らせたものが、土地での変遷を経て現…
田植踊 (たうえおどり)(町指定文化財/民俗芸能) 遠山にはずっと古くから様々な民俗芸能が育つ場所とされ、田植踊のほか念仏剣舞や奴踊などもあったと伝えられています。佐比内(さひない)から北の地域で、その昔、金の採掘で賑わった時、郷土芸能も盛んだったと推察されますが、文書などによる由緒はなく、はっ…
野村胡堂・あらえびす記念館 のむらこどう・あらえびすきねんかん 野村胡堂・あらえびす(本名長一) 明治15年(1882)~昭和38年(1963)。作家・音楽評論家。紫波町大巻字長沢尻の野村長四郎・マサの二男として生れる。彦部小学校、紫波尋常高等小学校、盛岡中学校、東京第一高等学校を経て東京帝国大…
金山跡/隠れキリシタン遺跡 きんざんあと 佐比内(さひない)から赤沢、長岡と当町の東部には多くの金山跡があります。特に佐比内の朴木(ほうのき)金山は有名です。また、隠れキリシタンの遺跡(墓)や遺物(マリヤ観音)が伝わっています。 [朴木金山跡] 佐比内の南東部、砥ケ崎(とがさき)の佐比内川上流の…
赤沢判官堂/義経神社 あかざわはんがんどう/よしつねじんじゃ 源義経(みなもとのよしつね)にまつわる伝説が残る赤沢地区。その一つが義経神社。 お札には、義経と縁のあると思われる「判官宮(はんがんぐう)」の文字と弓矢の絵が描かれており、昔は出征する兵隊が参拝し、このお札をもらって戦地に向かったとい…
赤沢薬師堂 (あかざわやくしどう)/木造七仏薬師如来立像 (もくぞうしちぶつやくしにょらいりゅうぞう)(県指定文化財) 赤沢地区の音高山南麓の福宝薬師堂に、平安末期12世紀奥州藤原氏の時代の作と推定されます。七仏薬師如来(しちぶつやくしにょらい)立像が、今も地域の人々の信仰を集め、祀られているお…