紫波中央駅前2-3-12
◆客室数
55室
◆料金
合宿プラン3800円~(ドミトリー3名以上)
一般4400円~(3名1室) 6300円~(1名1室)
JR盛岡駅から東北本線上りで紫波中央駅下車 乗車時間約20分 紫波中央駅から徒歩2分 いわて花巻空港から車で約20分 JR花巻空港駅から東北本線下りで紫波中央駅下車 乗車時間12分
TEL 019-681-1256
メール info@ogal-base.com
紫波町が紫波中央駅前一帯の開発に取り組んでいる“オガ-ルブロジェクト”のもとで建設された民間複合施設。ビジネスや合宿にも対応。国際基準の床材を常設したバレーボール専用アリーナの併設。同エリア内には紫波町情報交流館(図書館・交流館)など町の施設ほか、県内一を誇る産直や、クリニック、薬局、塾、居酒屋、カフェ、ショップなどがテナントとして入っています。設備の整っている音楽スタジオ、アトリエスタジオ、キッチンスタジオなども借りることができます。
※地図はGoogle Mapにリンクします。表示座標や表記はGoogle Mapの登録状況により異なることがございます。
樋爪館跡 ひづめだてあと(町指定文化財) /不動明王絵像碑 ふどうみょうおうえぞうひ(県指定文化財) /箱清水石卒都婆群 はこしみずいしそとばぐん(町指定文化財) /比爪館遺跡 ひづめだていせき(遺跡コードLE77.0087) /五郎沼遺跡 ごろうぬまいせき(遺跡コードLE77.1007) …
奥州街道跡 旧国道4号(現主要地方道紫波江繋線) 江戸時代、五街道と呼ばれる東海道、中山道、日光道中、奥州道中、甲州道中を主要街道として、幕府が直轄で整備し道中奉行を置いて管理しました。そのほかの道路は脇街道と呼び、各藩に整備を任せました。 五街道の一つであった奥州道中は、宇都宮で日光街道…
旧紫波郡役所庁舎 きゅうしわぐんやくしょちょうしゃ(町指定文化財) 紫波町指定文化財(建造物)の 旧紫波郡役所庁舎は、国道4号線の西側隣接地に所在しています。明治31年(1898)3月に完成したといわれていますが、現在のところ設計者・施工者ともに分かっていません。 郡制は大正12年(1923…
土舘新山寺跡 つちだてしんざんじあと(県指定文化財) /新山神社境内遺跡 にいやまじんじゃけいだいいせき(遺跡コードLE75.0159) 新山神社奥宮は、新山の山頂から少し下った標高517mの尾根の端にあります。現在は神社ですが、近世には「新山権現」として祀られていました。「新山権現」は、「新…
金田石卒都婆群 かなだいしそとばぐん(町指定文化財) /金田館遺跡 かなだだていせき(遺跡コードLE75.0349) 紫波町指定文化財(考古資料) 金田石卒都婆群は、金田館遺跡の東端部にある熊野神社参道沿いに11基あります。梵字が刻まれた無紀年の碑が8基、白碑が3基が一団となっています。 …
陣ヶ岡陣営跡 じんがおかじんえいあと(町指定文化財) /陣ヶ岡遺跡 じんがおかいせき(遺跡コードLE66.0208) /日の輪月の輪形遺跡 ひのわつきのわがた(遺跡コードLE66.0205) 北上川と奥羽山系の山裾に挟まれるように陣ヶ岡があります。古来から交通・軍事の要衝として知られ、坂上田…
嶋の堂の観音 しまのどうかんのん 嶋の堂は、五郎沼観音島にあった観音堂の千手観音像を本尊とする。 嶋の堂の由来は樋爪氏や簗田氏が持仏を一族郎党の供養のため奉納したとする所伝以外に、次のような伝承がある。南北朝時代(1335頃に)に北朝方の足利(斯波)家長が志波郡領主となり、家臣簗田氏が当地を…
蔭沼奴踊 (かげぬまやっこおどり)(町指定文化財/民俗芸能) この踊りは、初めに槍を模した「ぼんぼり」を持って踊り、後には手踊りや手拭などで踊るもので、古くからあった座敷踊り、はやり唄の踊りなど、即興的に踊ったものと言われています。 由緒としては、坂上田村麻呂が稗貫の大瀬川水争いの仲裁をした折…
大荘厳寺跡 だいそうごんじあと 大璋荘厳寺は、樋爪館の構成要素として「政庁」、「御所」 とともに造営された「寺院」であり、境内地は樋爪館の区画内部の南西部に鎮座する「薬師神社」の周辺であったと推測されます。奥州藤原氏の滅亡後も存続し、中世を通じて樋爪館の故地である箱清水地内に所在し続けました。 …
南日詰大銀Ⅱ遺跡 だいぎんにいせき 遺跡コードLE77.1104 大銀Ⅱ遺跡の発掘調査は、平成27年度から平成29年度まで紫波町教育委員会、続く平成30年度に公益財団法人岩手県文化財事業団埋蔵文化財センターによって行われました。その結果、樋爪の都市空間が北上川縁にまで広がることが確定的となりま…
南日詰小路口Ⅰ・Ⅱ遺跡 しょうじぐちいち・にいせき 遺跡コードLE77.1123・1131 小路口Ⅰ・Ⅱ遺跡の発掘調査は、平成21年度に公益財団法人岩手県文化財事業団埋蔵文化財センターによって行われました。調査の結果、樋爪館関係遺跡が国道4号の東に広がることが確認され、さらに北上川西岸に達す…
五郎沼経塚跡 ごろうぬまきょうづかあと 遺跡コードLE77.1037 五郎沼経塚跡は、国道4号線沿いの五郎沼南東部堤体の小高い場所にあり、沼の向うに紫波三山が連なり、北西奥に岩手山が遠望できます。 昭和9年(1934)まで「蛇の塚」と呼ばれ、古墳とされていた場所に「恩賜の郷倉」を建設する際…
五郎沼遺跡 ごろうぬまいせき/古代蓮の池 こだいはすのいけ 遺跡コードLE77.2177 五郎沼遺跡は、紫波町指定文化財の史跡「樋爪館跡」区域内の南部にあり、東側は国道4号に接しています。 現在は南北に細長い形ですが、これは明治以降の干拓によるもので、それ以前は現在よりもおよそ2倍西側に広…
西田遺跡 にしだいせき 遺跡コードLE77.2177 西田遺跡は、東北新幹線の建設工事に先立って岩手県教育委員会による発掘調査が行われ、縄文時代中期(およそ4,500年前)の環状集落が見つかりました。日本で最も有名な環状集落として海外でも紹介されています。 集落は広場を中心として192基も…
箱清水石卒都婆群 はこしみずいしそとばぐん 町指定文化財(考古資料) 清水端、五郎沼東北側から薬師神社にかけて13基が分散しています。紫波町で最も古い正応5年(1292)3月23日と刻まれた碑は残念なことに所在不明です。このほか紀年銘のあるものは正和6年(1317)・元亨3年(1323)・延…
不動明王絵像碑 ふどうみょうおうえぞうひ 県指定文化財(考古資料) 手を加えていないため不規則で中ぶくれになっている粘板岩に不動明王立像が描かれた絵像碑です。絵像の下には紀年銘が刻まれており、「岩手県金石志(岩手県教育委員会・昭和36年)」では「元亨3年(1323)4月8日」とあり、鎌倉時代末…
川原毛瓦窯跡 かわらけかわらかまあと 県指定文化財(史跡) (遺跡コードLE66.0318) この遺跡は南部藩御用窯として盛岡城の瓦を焼いた窯跡で、調査確認されたものとしては現存唯一です。発見された遺構は登り窯1基とそれに伴う基礎部分で南北方向に築かれており、北側台地上の中央に煙出し、南斜…
大銀遺跡 だいぎんいせき JR東北線日詰駅から南東約1.3kmに位置し、紫波・稗貫衛生処理組合処理場内で平成27年度から3年間発掘調査が行われ多くの「かわらけ」などの遺物と共に四面廂建物跡や東西方向に二条の塀(柵列)跡と門の跡が検出されました。遺跡範囲は東西約170m、南北約140mと推定されま…
善知鳥館跡 うとうだてあと 従来から、安倍貞任(あべのさだとう)の臣善知鳥文治安方(うとうぶんじやすかた)の居館跡と伝えられてきました。昭和38年6月、紫波町教育委員会が主体となり、岩手大学板橋源教授を主任調査員として発掘調査を実施した結果、この遺跡は、安倍氏の柵か、もしくは安倍氏につながりのあ…
樋爪館跡/比爪館遺跡 ひづめのたちあと 鎌倉幕府の歴史書「吾妻鏡」に奥州藤原氏の館(たち)として、平泉館(柳之御所)・衣川館(衣川の接待館遺跡付近と思われているが、特定されていない)・比爪館の3ヶ所が記述されている。その場所は赤石小学校周辺、東西約300m、南北約200mの範囲で、南は五郎沼に接…
阿吽山覚王寺 (あうんざんかくおうじ)(修験宗)/大日堂五輪泥塔(だいにちどうごりんでいとう)(町指定文化財) 覚王寺の草創は室町時代までさかのぼり、寺宝や伝承は数少ないが残されています。本尊「大日如来像」 は平泉藤原氏ゆかりの樋爪太郎俊衡・五郎季衡一族の居館に鎮座していた仏像と言われ、樋爪一族…
青竜山廣澤寺 (せいりゅうざんこうたくじ)(曹洞宗) 廣澤寺は、水沢市黒石の大梅枯華山正法寺二代目住職、月泉良印和尚こと勅使仏学古心禅師(後小松天皇より諡号(しごう)を賜わる。)が開祖。古心禅師は一寺を建立する大願をいだき、今の紫波町を候補地に定め、禅道を布教するため自ら出向いて神田氏宅に寄宿し…
長広山勝源院 (ちょうこうざんしょうげんいん)(曹洞宗)/勝源院の逆ガシワ(しょうげんいんのさかさがしわ)(国指定文化財)(天然記念物) 勝源院は、源義家が源氏の勝利を記念して柏の木を植え、一庵を創したのがはじまりと伝えられています。その後、慶長16年(1611)に曹洞宗の高僧真安大易大和尚が錫…
光明山来迎寺 (こうみょうざんらいこうじ)(浄土宗)/マリア観音像 来迎寺は、文明9年(1477)の開山で、当時は花巻市大迫町亀が森に建立されていました。現在地に移ったのは寛永12年(1635)と寺伝に記されています。浄土宗の開祖である法然上人が開宗されてから八百年余になりますが、念仏門として知…
和融山蟠龍寺 (わゆうざんばんりゅうじ)(曹洞宗) 蟠龍寺は、承和元年(834)に高水寺第五代の伝法子法宥阿闍梨が祝融山(後に改め和融山と称す)をこの地に創立、文治の頃(1185~1190)兵火に遭い荒廃しました。 承応3年(1654)栃内江岸寺第二世伝達和尚が、同地白銀より北上川渡船のおり…
法王山善念寺 ほうおうざんぜんねんじ(浄土宗) 国道4号線日詰バイパスを北に向かい、城山入口を過ぎて下り坂になった左側に三ヶ寺が建っています。その最初の奥まったところが善念寺です。寛永3年(1626)盛岡の光台寺三世大阿一白和尚がこの地に草庵を結び、近辺の信者を集めて夏安居(かあんご)、今の錬成…
久保山長岩寺 (きゅうぼざんちょうがんじ)(曹洞宗) 長岩寺は、郡山城跡(現、城山)の西麓、国道4号線沿いの丘陵に位置しており、創建年代及び当時の宗派は不明ですが、現在は九戸政実の舎弟中野修理康実の開基で、梅岩嶺雪和尚(寛永元年(1624)没)の開山と称しており、本尊は釈迦牟尼仏。秋田県鹿角市長…
石森山本誓寺 せきしんざんほんせいじ(真宗大谷派)/京都鍵屋小野家仏壇一式(きょうとかぎやおのけぶつだんいっしき)(町指定文化財)(工芸品) 本誓寺は、建保3年(1215)に親鸞聖人の弟子是信(ぜしん)御坊が紫波町彦部に創建。天正12年(1584)に焼失した後、斯波氏の城下である当地に移転。その…
ケヤキ (町指定文化財(天然記念物) ケヤキは県内に広く分布する樹種ですが、走湯神社参道入口のケヤキは県下有数の大木とされています。 源頼朝が陣ケ岡を出立する際、走湯神社に奉納するため鏑矢を槻の木に2本射立てたことが 『吾妻鏡』 に記されており(文治五年(1189)九月十一日条)、近世に枯死…
南面のサクラ・ヒガンザクラ群 (なんめんのさくら・ひがんざくらぐん)(町指定文化財(天然記念物) このサクラはバラ科の落葉小高木で、コヒガンザクラ・アケボノヒガンとも呼ばれます。志賀理和気神社(通称:赤石神社)の参道沿いに見事な花を咲かせる桜の並木が続きます。参道に入って間もない所に 「南面の桜…
ケヤキ群 (町指定文化財(天然記念物) ケヤキはニレ科の落葉高木で灰褐色の樹皮をしています。木宮神社のケヤキは4本同時に植えられたとされていますが、幾度かの火災により1本は焼失し、残りの3本にもその痕跡が残っています。樹勢は旺盛で、最大のものは県内でも有数の大木です。 昭和50年(1975)…
勝源院の逆ガシワ (しょうげんいんのさかさがしわ)(国指定文化財(天然記念物) カシワは日本、中国、朝鮮半島、台湾等に広く分布するブナ科の落葉高木で、通常は上向きに直立する性質があります。勝源院の本堂裏の庭園にある逆(さかさ)ガシワは、地面際で幹が四方に分かれ、そのまま地を這うように成長し立ち上…
走湯神社 (そうとうじんじゃ)/ケヤキ(町指定文化財) 祭 神 天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと) 祭 日 例祭8月27日 由 緒 吾妻鏡巻九、文治5年(1189)9月9日丙(ひのえ)寅(とら)。今日二品(にほん)(源頼朝)はまだ蜂(はち…
志賀理和氣神社(しがりわけじんじゃ)/南面のサクラ・ヒガンサクラ群(町指定文化財) 祭 神 経津主命(ふつぬしのみこと) 武甕槌命(たけみかつちのみこと) 猿田彦命(さるたひこのみこと) 保食神(うけもちのかみ) 少彦名命(すくなひこなのみこと) 大己貴命(おおむち…
五郎沼薬師神社 (ごろうぬまやくしじんじゃ) 祭 神 少彦名命(すくなひこなのみこと) 祭 日 例祭9月10日 由 緒 樋爪太郎藤原俊衡が国家安穏武運長久の祈願のために居城内に勧請したのが本社の創祀です。元和5年(1619)7月23日、南部利直社…
八幡神社(平沢) (はちまんじんじゃ)(ひらさわ) 祭 神 誉田別命(ほんだわけのみこと) 祭 日 例祭9月4日 由 緒 不詳。世に坂上田村麻呂の勧請、藤原秀衡再興と称するが資料がありません。明治4年(1871)10月、村社に据えられました。昭和5…
岩手山神社 (いわてさんじんじゃ) 祭 神 大己貴命(おおなむちのみこと) 祭 日 例祭9月5日 由 緒 滝名川の砂金採取にあたり、南部利雄公時代(宝暦2年(1752)~安永元年(1772))に勧請、創建しました。 天明5年(1785)2…
八坂神社(南日詰) (やさかじんじゃ)(みなみひづめ) 祭 神 須佐之男命(すさのおのみこと) 祭 日 例祭9月3日 由 緒 不詳。享保18年(1733)6月15日の再興の棟札には牛頭(ごず)天王(てんのう)とみえています。 境 内 社 …
八幡神社(南日詰) (はちまんじんじゃ)(みなみひづめ) 祭 神 誉田別命(ほんだわけのみこと) 祭 日 例祭9月5日 由 緒 不詳。宝暦12年(1762)11月の棟札には京田八幡と見えます。 氏 子 数 40戸 崇 敬 者 …
木宮神社 (きのみやじんじゃ)/ケヤキ群(町指定文化財) 祭 神 迦具土命(かぐつちのみこと) 祭 日 例祭8月23日 年越祭12月23日 由 緒 高水寺の開祖当地、開墾に当り伊豆熱海の来宮(きのみや)神社を勧請したもので、当時の祭神は八十猛命、…
十二神薬師神社 (じゅうにじんやくしじんじゃ) 祭 神 大己貴命(おおむちのみこと) 少彦名命(すくなひこなのみこと) 祭 日 例祭9月1日 由 緒 不詳。明治4年(1871)10月村社に据えられました。 境 内 社 水天宮 庚申 馬…
北条館遺跡 ほうじょうだていせき 北条館は紫波南大橋の右岸袂にあり、紫波町観光交流協会が設置した標柱が立っている。ここから数㎞先上流左岸に星山館がある。東側を北上川と平沢川が並行に流れている。標柱の立っている付近が主郭で、土塁と堀の跡が北と南側に残っている。又西側の水堀(以前は8.5~12m幅の…
【標柱】樋爪館跡 (ひづめだてあと)(紫波町指定史跡) 紫波町指定史跡樋爪館跡の範囲は、樋爪館遺跡と五郎沼遺跡を合わせた約12万㎡です。 樋爪は、世界文化遺産平泉の奥州藤原氏初代清衡の子清綱に始まり、その子俊衡に受け継がれ、この地で産出する砂金等を支配し北方交易の拠点にもなっていたと推測され…
【標柱】日の輪月の輪形遺跡 (ひのわつきのわがたいせき) 宮手字陣ヶ岡に所在する紫波町指定史跡「陣ヶ岡陣営跡」の中にある遺跡です。 陣ヶ岡は、古来から交通・軍事の要衝として知られ、坂上田村麻呂、源頼義・義家父子や頼朝など、幾多の武将の史実、伝説を残しています。 日の輪月の輪形遺跡には、前…
【標柱】延文六年供養碑 (えんぶんろくねんくようひ)/伝説・夜泣き石 (よなきいし) 国道4号線沿いの五郎沼北東部堤体上にあり、紫波町指定文化財「箱清水石卒都婆群」の板碑13基中の1基です。 延文六年供養碑は、高さ210㎝の長大なものであり、碑面上半部には薬研彫りで種子が大きく刻まれています…
【標柱】大荘厳寺跡 (だいしょうごんじあと) 大荘厳寺の境内地は、樋爪館の区画内部の南西部に鎮座する「薬師神社」の周辺であったと推測されます。 大荘厳寺は樋爪館の構成要素として「政庁」、「御所」とともに造営された「寺院」です。奥州藤原氏の滅亡後も存続し、中世を通じて樋爪館の故地である箱清水地…
【標柱】南日詰小路口Ⅰ・Ⅱ遺跡 (みなみひづめしょうじぐちいち・にいせき)(樋爪館関係遺跡群) 小路口Ⅰ・Ⅱ遺跡の発掘調査は、平成21年度に公益財団法人岩手県文化財事業団埋蔵文化財センターによって行われました。その調査結果、樋爪館関係遺跡が国道4号の東に広がることが確認され、さらに北上川西岸に達…
【標柱】南日詰大銀Ⅱ遺跡 (みなみひづめだいぎんにいせき)(樋爪館関係遺跡群) 大銀Ⅱ遺跡の発掘調査は、平成27年度から平成29年度まで紫波町教育委員会、続く平成30年度に公益財団法人岩手県文化財事業団埋蔵文化財センターによって行われました。その調査結果により、樋爪館の都市空間が北上川縁にまで広…
【標柱】北条館遺跡 (ほうじょうだていせき)(樋爪館関係遺跡群) 紫波町北日詰字城内の北上川西岸に所在する中世の城館跡です。 北上川に沿って南に北日詰城内Ⅰ遺跡・南日詰大銀Ⅱ遺跡が続いていますが、近年の大銀Ⅱ遺跡の発掘調査で12世紀の遺構・遺物が見つかり、樋爪館跡の範囲が北上川西岸にまで広が…
【標柱】北日詰城内Ⅰ遺跡 (きたひづめじょうないいせき)(樋爪館関係遺跡群) 城内Ⅰ遺跡は、北が北条館遺跡、南が小路口Ⅱ遺跡に続いています。平成30年度から行われた発掘調査では、北条館の外堀と推定される大きな溝や、工房跡が並んで見つかりました。北条館に関連する工房群の可能性が高いと考えられていま…
平井家住宅 ひらいけじゅうたく《国指定重要文化財》 かつて北上川舟運の要衝として栄えた郡山駅に、豪商の平六商店(現在の菊の司酒造)の第12代平井六右衛門が約3年の歳月をかけて大正10年に完成し、内閣総理大臣に就任した原敬を接待するために新築された屋敷です。岩手県内でも数少ない大正の邸宅です。
スポ-ツ施設。テニス・ゲ-トボ-ル・フットサルのできるコ-トを備え、さらにバレ-ボ-ル等多目的なレクリエ-ションに活用できます。会議室兼用の卓球室もあり、エアロビクスやジャズ体操などにも利用可能です。
紫波中央駅前にあり、世界最高水準のロングパイル人工芝を備えた財団法人日本サッカ-協会公認のグランドです。各種公式試合やキッズからシニアまでのトレ-ニングセンタ-としての機能を持つ一方、様々なサッカ-イベントが開催されています。 利用料金など詳しくは岩手県サッカ-協会にお問い合わせください。
平成11年度に開催された、岩手インタ-ハイ自転車競技の会場です。平成28年岩手国体の会場になっています。 岩手県内に競輪場が存在しない背景もあり、岩手県の競輪選手が練習地としている他、高校生等のアマチュア選手も使用している。
町民がスポ-ツを楽しんだり、レクレ-ションや様々なスポ-ツ大会を開催しています。野球場、陸上競技場、総合体育館、夜間照明のついたテニスコ-トが完備され、低価格で利用できるのが魅力です。
創業100年の実績。職人のいる店家具工房で ございます。 家具・建具の修理やアレンジから、ソファ-・ 壁紙・床・ ふすま・障子などの張り替え・お家の リフォ-ムまで暮らしの お手伝いをいたします。 その他にも、事務用品・事務機器なども取扱い しています。 まずは、お問合せください。
伝統の継承と技術の革新を目標に掲げ、日本酒造りには不向きといわれるもち米を100%使用した純米酒の製造や、原料の米を最大限に利用する焼酎の製造にも取り組むなど新しいことに挑戦し続けています。
紫波町が紫波中央駅前一帯の開発に取り組 んでいる“オガ-ルブロジェクト”のもとで建設 された官民複合施設。 館内には紫波町情報交流館(図書館・交流 館)など町の施設ほか、県内一を誇る産直や、 クリニック、薬局、塾、居酒屋、カフェ、ショップ などがテナントとして入っています。 設備の整っている音楽スタ…
カフェスタイルで明るい雰囲気のショットバーです。 新型コロナウイルス感染予防対策を実施し、営業しております。 飲み物はカクテルを中心に、きめの細かい泡の生ビールやクラフトビールが人気です。カプチーノやパフェもご用意しております。お料理はイタリアンを中心に、お酒に合うつまみがございます。地元の「し…
もち米生産日本一の紫波町、代々親から伝えられた、おふくろの味を皆様へお届けしようと頑張っています。お引き出物やお供えなど、いろいろご相談に応じますのでご利用下さい。
紫波中央駅前のオガールプラザ内にある産直で、売場面積は県内最大級を誇ります。約200坪、高さ約12メートルの木造吹き抜けの大空間には、紫波の産品があふれています。 1階の売場スペースには、朝採りの新鮮野菜が勢ぞろいしているほか、ソーセージやベーコンなどの畜産加工品、三陸を中心とした魚介類、惣菜や和洋…
紫波町日詰にあり、旧くから地元の方々に親しまれてる食堂。できる限り紫波町産の食材を使用しております。2階和室は、ご宴会のほかイベントスペースとしてもご利用いただけます。
日詰かじ町さんさ踊り (ひづめかじまちさんさ)(町指定文化財/民俗芸能) 日詰の旧鍛冶町は日詰の北の入口に当り、藩政期、町の中心地が豪商軒を並べる商業地域であったのに対して、ここは鍛冶屋など様々な職人や農民が住む活気のある土地柄で、芸能を好む風土でした。昭和10年ごろ赤沢村舟久保からここへ婿…
二日町鹿踊 (ふつかまちししおどり)(町指定文化財/民俗芸能) ◇ 伝承の由来 二日町鹿踊は、現在、城山公園として親しまれている斯波氏の居城であった高水寺城のふもとの二日町が政治・経済・文化の中心地として栄えた頃の1500年代に伝わったものと言われています。一説によると、長岩寺の中興開祖と言わ…
南日詰大神楽 (みなみひづめだいかぐら)(町指定文化財/民俗芸能) その昔、江戸より慰問として七軒町と称する芸能の一団が奥州にやって来ました。主な踊りは獅子舞、はやし舞、万才、狂言など表裏24の踊でした。南部公と共に、稗貫八重畑に居た、南部の分家の地家を訪ねる途中、新堀六角で庄屋を務める佐藤秀右…
櫻町田植踊り (さくらまちたうえおどり)(町指定文化財/民俗芸能) 櫻町田植踊の歴史は平泉に藤原氏が栄え始めた頃から田植踊や、大神楽のような芸能が伝承され、明治初期まで踊られていたそうです。しかし、後継者がいなくなり途絶えてしまいました。その後、明治22年紫波町桜町の与十郎家(現在の高橋次男…
高水寺遺跡 こうすいじいせき 二日町の東部、城山の北西麓に位置した古刹。寛永年間(1624年~44年)盛岡城下に移され、明治初年廃寺となりました。神護景雲(じんごけいうん)2年(768年)称徳(しょうとく)天皇の勅願によって創建されたと伝えられます。
城山公園・高水寺城跡 町のほぼ中央に位置する小高い山にあります。室町幕府とゆかりの深い斯波(しば)氏の居城であり、御所ともいわれ、中世紫波郡の中心として約400年栄えた場所です。2,000本を超える桜が咲き誇る桜の名所で、公園へ続く遊歩道にできる桜のトンネルは見ごたえがあります。
五郎沼経塚跡 ごろうぬまけいづかあと 五郎沼経塚は、昭和9年に「恩賜(おんし)の郷倉(ごうそう)」建設の際に偶然発見された経塚です。 その具体的な地点ははっきりしていませんでしたが、比爪館に南接する五郎沼の南東岸に所在したと推測されます。国道4号沿いの五郎沼の東側の堤に連続する形で自然地形の小高…
五郎沼 奥州藤原氏初代清衡(きよひら)の孫桶爪太郎俊衡(ひづめたろうとしひら)、五郎季衡(ごろうすえひら)兄弟の館が近くにあり、五郎がこの沼で遊泳していたことからその名がつけられたといわれています。 春は満開の桜並木が水面に映え、夏には古代蓮(こだいはす)の池で蓮の花が色鮮やかに咲き競い、冬は白鳥…